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SANKYOヒストリー

1980 SANKYO

「フィーバー」の機種詳細

フィーバー 筐体画像
1980年7月から8月にかけ、SANKYO設立15周年を記念する「15周年謝恩新型機発表展示会」にて発表された。
超特電、デジパチ、フィーバー、第一種などと呼ばれるジャンルの元祖として、あまりに有名な機種である。
この機種は前身の「ブレンド」を改良し、当りになると開放される「アタッカー」を搭載。
これは、当時の開発者が「壊れて開きっぱなしになったチューリップ」を見た際、ひらめいた役モノであったと言われる。
ゲーム内容は、スタートチャッカーに玉が入るとドラムが回転。
ここに「太陽」が3つ揃い、上部7セグ表示に「7」が止まれば大当りとなり、アタッカーが30秒間開放する。
その間「Vゾーン」に入れば延々と開放を繰返す、というもの。
カウントラウンドの上限はなかったが、翌年には開放回数が10回までとなり、84年ごろには1ラウンド10カウントまでといった規制が行われ(※保通協検査が始まるまでは、地方によって異なっていた)、85年の規則改正以降は、04年に種別が撤廃されるまで、フィーバー型の機種全般におけるゲーム性の基本を確立した。
「フィーバー」に火がついたのは、1980年12月に123を導入した新潟県のホールからである、というのが定説である。
当時は玉箱が大量出玉に対応しておらず、代わりにバケを用いた話なども、ファンの間でよく語られているエピソードの一つ。
また、ホール業界でも、この機種の登場以前は、の差玉を一ずつ細かく管理し、個々に対応した釘調整を行うのが当り前だったが、以降はシマや店舗全体で出玉管理を行う営業スタイルが、根付いていった。
このように、様々な面で業界に大きな改革をもたらした「フィーバー」は、現在でもパチンコをリードするジャンルとして受け継がれている。
(著)神保美佳
販売名(型式名)

フィーバー
(フィーバー)

スペック

賞球数(ALL15)

販売名(型式名)

フィーバー(2号機)
(フィーバー(2号機))

スペック

賞球数(ALL15)